作成日:2013年02月22日 訪問日:2013年02月10日
87番札所 補陀洛山長尾寺
2月10日
四国霊場八十八箇所ではないですが、今日は新曼茶羅八十八箇所霊場を1番から打てるところまで行く予定でした。
新曼茶羅は、四国霊場と同じで鳴門に1番札所あり、四国を反時計回りに札所があります。
ちなみに1番札所は、霊山寺の奥の院 東林院。
朝、鳴門をスタートして、そんなに急ぐでもなく、のんびりと8番札所まで廻って、夕方には長尾寺付近に。
時間を考えると、新曼荼羅の9番札所か・・・それとも奥の院も参拝できそうな長尾寺か・・・。
今年になって、四国霊場はまだ一箇所も参拝してなかったので、初参拝にしようと、目的地を長尾寺に変更。
ナビに長尾寺と奥の院をセットしていると・・・・・奥の院の位置に、自分が登録したマークが点滅?
確認すると、四国霊場 長尾寺の奥の院と新曼茶羅の9番札所は、同じ玉泉寺でした。 ちょっとラッキー。
長尾寺の参拝を終わらせて、奥の院 玉泉寺へ。
玉泉寺は、長尾寺から志度寺方向に少し走ったところにあります・・・・と、気がつけばナビが目的地を通り過ぎてる?
良く見ると、目的地は走っている道路と5mほど離れて並行してある狭い道に。
なんとかその道に入る場所を見つけて進むと・・・ありました。
んんん・・・・・良い意味で景色に溶け込んでいて、良く見ないと気づかない。
でも、「奥の院の雰囲気はやっぱりコレだよなぁ」と喜びつつ門をくぐり階段を登ると、予想通りの佇まいでした。
本堂前の藤棚(季節外れなので咲いてませんが)と、正面に本堂・・・・・大師堂が見当たらない。
とりあえず、本堂に参拝して・・・と思い参拝を済ませて、何気なく左を見ると、”大師堂こちら”の案内が・・・・・。
案内に従って、本堂の左側に進むと、ありました大師堂?・・・・というより、祠にちかいなぁ(^^;
ちなみに
本堂: 日切地蔵菩薩 ※新曼茶羅
大師堂: 萬願大師 ※奥の院
的な感じです。
大師堂の参拝を済まして、気づけば 4時55分。
本堂の右側にある納経所へ行くと、時間ギリギリにも関わらず、丁寧に納経をしていただきました m(_ _)m
納経を済ませて、写真を撮っていると、納経をしていただいた住職が私に向かって何か・・・・・。
住職は話好きのようで、この後 30分程。
●藤棚の藤は、樹齢100年以上で、新聞でも紹介されたそうです。
正確にはわからないそうです・・・・そりゃそうですねぇ(^^;
●お守りのお地蔵さんの絵は、(当時)13歳の子供が描いたえだそうです。
ご利益があると、人気だそうですよ。
●そのほか、お寺にまつわる話を・・・・。
地元のお寺も大事にしないと・・・・でした。
最後に、遅くなってしまったねぇ?と言われたのですが・・・・
いえいえ、納経の時に、親しみやすそうなご住職だなぁ?と思ってたので、楽しかったですから。
(^^)地元じゃ無いのが残念です。
地元だと、フラッと頻繁に行ってしまいそうです。
藤が満開になる5月にまた来ますと言いましたが、近くに来たら必ず寄ります。
その時もよろしくお願いします、 住職。
最後に、私、まだ3回目の遍路の途中ですが。
でも、こんな住職と出会う度に思うんですよね。生意気かもしれませんが。
遍路だけがお寺では無いです。まずは地元のお寺を大事にすることが、遍路への一歩だと思います。
遍路、それぞれに思いがあり、目的も違う。 それは誰も否定する資格は無いです。
ましてや、どこかで見ましたが、再考しろなんて傲慢にも程がある。
厳しく諭すこと=何を言っても良い と勘違いしていると呆れましたが。
空海は、全ての人を救おうとしたのであって、嫌ならやめろなどということは言ってないと思うんですよね。
私は、まだ自分の努力が足りない今の歳で遍路にすがろうとは思っていませんが、どうあるべきか見つめ直すには良い機会と遍路を時間があればしています。
遍路の札所の仏も、すぐ近くのお寺にある仏も、同じ仏です。霊場の仏が格上なんでしょうか。
大事なものは、意外と近くにあると思うんですよね。
87番長尾寺奥の院 玉泉寺到着です。
本堂前です。 んん?、いい感じ。。。
萬願大師様です。 機会があればぜひご参拝を・・・・
5月くらいに、藤の花が綺麗に咲くそうです。
わさび様、いつも楽しい道中記をありがとうございます。
玉泉寺は実家の近くで、子供の頃は遊び場でした。
今回わさび様からの紹介を見て、すごく懐かしく思いました。
ありがとうございました。
ucom.ne.jp
コメントありがとうございます。
ご住職は、近くに住む三世代家族の方が、参拝によく来られることも嬉しそうに話されていました。
玉泉寺が地元に愛されていることが伝わってきました。
良いところですね。
ご住職との話が盛り上がって、暗くなってしまったので、写真は・・・・。
でも、こんな遍路も有りだなぁ?と。
せっかくなので画像1枚追加しました。
もうちょっと、周りも撮っていたら良かったんですが(^^;
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藤棚の写真、懐かしいです。
小学生の頃、ここに登って叱られた記憶があります。
わさび様の仰ってた、再考の記事を見つけました。
私もわさび様に同感です。
投稿者は以前から辛辣なコメント記載を繰り返してる様ですね。
公認先達としては、非常に残念です。
わさび様、これからも楽しい記事を期待しています。
まだまだ寒さが厳しいですが、体調に気をつけて頑張って下さいね。。
panda-world.ne.jp
私もわさびさんの再考の記事を見ました。
私もわさびさんにかなり同感です!
記事見たときは、かなり遺憾に思いました。
私は、お遍路さん素人でよくわかってないのですが、あんなコメントされると
遍路なんか行きたくなくなります。
ひとそれぞれの遍路があると思うので、批判するのはどうかなっと。
わさびさんの記事、私も拝見させて頂いています。次回の記事楽しみしてま
すね。
dion.ne.jp
神戸?Kanbe?さん、
喜んでいただいて良かったです。
私も、子供のころは、神社もお寺も遊び場でした。
重要文化財とか知った今では、恐れ多いですけど(^^;
後輩(先達)とのバタバタ遍路は、まだ続くみたいです、ヤレヤレ。
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XYZさん、コメントありがとうございます。
私も3回目で、素人ですが、知っていることを情報交換ということで。
※例の質問の時は、さらに場が荒れないように、書けなかったんですが。
【納経所の対応について】
納経所の方は、必ずしもお寺の方ではないそうです。
地元の字(筆)が上手い人をアルバイトに雇っていることがあるそうです。
なので、できた対応を全ての人がしてくれる訳ではないようですね。
どちらにしても、1日に何十、何百と納経するんですから、機嫌が悪いことがあるのも、しょうがないかなと。
でも、こちらは「納経してもらう」という礼儀は忘れなかったという気持ち良さは納経と一緒に持って帰りましょう。
本当に修行されている方は、ちゃんと応してくれますはずですし。
遍路には、良い噂は美談として広がるものですが、表には出ない悪い部分もあるようです。
※あくまで遍路を利用した個人の悪意によるものなので、協会に責任があるものではないですが。
できれば、みんながそんな悪い部分を知ることなく、遍路を終えてほしいと思います。
大変と思えば、辛くなり。 楽しいと思えば、意外と続けられる。
同じお寺も、季節が変われば、表情も変わります。
遍路、楽しみましょう。 修行とは言いますが、そんな遍路も有りですよ。
それも心の修行ですよね。
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わさびさん早々のコメントありがとうございます。わさびさんのコメント読むと私もなんか楽しい修行の旅に行ってみたくなって来ました。
お遍路さんの知識あまりないのでいろいろ教えてくださいね。
dion.ne.jp
お遍路初心者です。
いつも本ポータルを拝見させていただいておりますが、あのコメントに不愉快になり、ご無沙汰でした。しかし、今日、何気にわさびさんの道中記やXYZさん、神戸?kanbe?さんのコメントを拝見し、私が不愉快になった再考について触れられていたので、初めて投稿させていただきます。
私もみなさんのお考えに賛成です (^o^)/
熟練遍路になろうが、お先達さまになろうが、自分の考えを押し付ける資格はないと思います。
現実には、勘違いされている方がいるのは事実なので、心が痛みます。
しかし、そんな方ばかりじゃないので、今日もお遍路が残っているんでしょうね!*\\(^o^)/*
未来へ受け継がれるお遍路が、遍路をする者にとって更にパワーアップすることを願います。
dion.ne.jp
長安さん、コメントありがとうございます。
お礼のコメントを考えてました。 思わぬ方向で盛り上がってしまったので、う?んと。
私は、遍路は廻った回数ではないと考えています。 もちろん、先達についても。
遍路とは廻る人間の思いの強さだと思っています。
私には、100回廻った方の納札より、(1度であっても)強い思いを持って廻る人の遍路の方が尊く感じます。
・・・・未だ、「遍路とは?」と廻っている私が言うのも変ですが。
遍路は回数ではなく、どんな思いで廻り、何を得たのか。 それによって人としてのレベルも上がる・・・と。
そしてそれは、その人の行動や言葉に現れると。
ちなみに、公認先達と言われますが、先達という言葉自体は、遍路に関係なくあります。
その意味は、「後輩を導くもの」と。
ただ、四国霊場会が四国霊場の案内役としてできると認めているのが、霊場の公認先達(のはず)です。
知識も有り、後輩を導けるのであれば、公認でなかろうが先達なんです。
そうは言いましたが、実際に先達の方も色々いて、手を合わせられる程尊敬されていても、謙虚に受け答えされている先達の方も見かけました。
そういう方はそう感じられる雰囲気をもっているようです。
あまり書きすぎても、ちゃんとした先達の方に失礼にあたりますが。
この道中記は、このコメントで終わりだなと思うのでついでに書いておこうと思います。
私が傲慢と表現したのはもう一つ理由があります。
最初に戻ってしまう話なのですが。
再考の件は、最初の回答者の方のコメントの内容にばかり目が行き、すり替わってる感があるのですが。
※質問者の方、話題にして蒸し返す形になりすみません。
私も、納経帳は一人一冊、あの手の話にお寺の名前を出すのは・・・・と思っています。
非公認先達(私が後かな)として、その点を注意するのは当然かなと。
でも、最初の回答者の方は、「お寺の悪口を不特定多数の・・・」と言われていますが、お寺の名前は出ているとしても、最初の質問自体はお寺の悪口を書いているとは、今、読み返しても思えません。
納経を断られた ⇒ 前回と違う対応で驚いた ⇒ 人数以上の納経帳を持ってるかたはどうでしょうか?
が、質問ではないのかと。 どこが悪口になっているんでしょうか?・・・・。
むしろ、一人一つのの納経が正しいのであれば、前回納経をしたお寺の行為を疑問視すべきでは?
自分よりも下の遍路素人の間違いを叩くより、お寺の定まらない対応が問題では?
人には修行・・・自分たちには修行ではなく、悪口言うな!・・・・って、実は今も私は、それが霊場会のなのかという思いを持ちながら廻っています。 私も納経所で不愉快な思いをしたのは1度や2度ではありません。
再考といった回答者の方も、2回目のコメントで、「相手の身分と立場をきちんと理解した上でのことでしょうか」と書いています。
それは、質問をした方のことを質問の内容だけで、すべてを理解していないにも関わらず、相手のことも考えずコメントを書いたことと何が違うんでしょうか?
故に、私はそれを「傲慢」と言わせていただきました。 自分の時には激怒し、人に言うときには上からものを言う。
理解されているのでしょうか?公認先達が、お寺から推薦されて先達となっているということは、その言動が推薦したお寺の評価に影響するということを。 推薦してくれたお寺の信用がその言動にかかっているということを。
推薦されたという自信があるかもしれませんが、それはあくまで資格があると推薦されたのであって、先達としての得は後の自身の努力であることを。
霊場会や推薦してくれたお寺を後ろ盾に発言することは、自身にないも無いことを平然とさらけ出していることを。
回答者の方は、最後まで自身を先達とは言われませんでしたが、言わないのであれば、霊場会のことを引き合いに出しての発言は問題ではないでしょうか? その発言に対する不満は、霊場会に向いてしまうはずです。
私は、自分の知り合いの先達に対してもですが、公認先達といわれる方に、切に願います。
私が言うまでもなく、分かってらっしゃると思いますが。
先達とは、なったこと自体は何の意味もない、なった後にいかに後輩(後達)を導きながら、いかに自分を高めたかが必要なんだと。
自分がこれなら偉いだろと自身を持つことではなく、その評価は周りの人がして、初めて意味があるのだと。
先達の方には(特にコメントをくれた神戸?Kanbe?さん)失礼な言い方をしてると思います。
この後も、自分の立場に溺れることなく、未熟な後達の方を導いていってほしいと思います。
匿名とはいえ、ちょっと以上、言いたいことを書き過ぎました・・・・・
私のコメントを見て、不愉快になった方もいると思います m(_ _)mスミマセン
道中記はアップしようと思いますが、しばらくはコメント控えます。
それと、お返しのコメントが必要以上に長くなってしまって、すみません長安さんm(_ _)m
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