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宇和島の鯛めしと鯛の鯛

うさぎさんのお遍路道中記

作成日:2012年04月21日 訪問日:2012年04月06日
41番札所 稲荷山龍光寺


前日の納経時間ギリギリに観自在寺を打ち、直ぐ近くの山代屋旅館さんにお世話になった。
宿の旦那さんは、遅く到着した私を快く迎えてくださる。
部屋に案内され、ザックの整理をする。
お風呂道具を出し、浴衣に着替え洗濯物をまとめる。
洗濯はお接待で宿のおばあちゃんがしてくださるという。
ありがたくお願いし、お風呂の順番を待った。
その間、足の包帯やテーピングを外した。
親指は赤く腫れ上がり相変わらず二倍になっていた。
現状から目を背けたかったが、明日からも峠越えが待っている。
進む以上は毎日血膿を抜かなくては歩けないのだ。
なかなかお風呂の順番が来ないので、先に切る事にした。
切る、そう、切って血膿を絞るのだ。
アルコール除菌シートで丁寧に足を拭く。続いて全体をマキロンで消毒する。
そして極めつけは、ナイフとマチ針をライターで炙り患部にグサリだ。
二回目にして慣れてきてしまった自分が恐い。
痛みを堪え、ぎゅーっと爪を押して両足の親指の血膿を抜いた。
マキロンで再び消毒し、簡単に医療用テープでガーゼを固定した。
お風呂上がりに、また念入りにマキロンで消毒して出来上がりだ。

やっとお風呂の順番が来たので、浴室に向かうと宿の旦那さんが
「お風呂上がったら直ぐ食事です」
とおっしゃる。
入る前から焦ってしまう。
浴槽には浸からず、シャワーだけ浴びた。
急ぎ着替え、風邪を引かないようドライヤーで髪を乾かそうとすると、また旦那さんが
「ごはん、どうぞ」
仕方がないので、濡れた髪を束ね雫を垂らしながら食事の席に着いた。
すると隣りの席がお坊さんだったのだ。つい、緊張してしまう。
お坊さんに失礼があっては罰が当たる。静かに食べなければ。
しかし、お坊さんの隣りのおじさんがビールを飲みながらしきりにお坊さんに話し掛けていた。
何処から来たのか、結婚しているのか、などなど。
ありゃー、そんなこと修行中のお坊さんに聞いちゃダメだよ?と心で思いながら食事をしていた。
するとお坊さんが私に話し掛けてきた。
「お一人で歩き遍路ですか?」
びっくりした。
以前NHKで高野山のお寺の一日を放映していたのを見たことがあった。
お坊さんは食事中は黙って食べるのも修行と言っていたからだ。
よく見ると日本酒も飲んでいる。
年齢も私よりずいぶん若そうだ。
「はい、一人で歩いてます。」
それだけ答え、また黙って食事をした。
その他のお客さんは、車遍路の老夫婦とその付き添いらしい中年の女性だけだ。みんな黙って食べていた。
酔い酔いおじさんはひとしきり話し終わると部屋に帰って行った。
思い切ってお坊さんに話しかけてみた。
「ご修行ですか?どちらからですか?」
お坊さんは一人で中国地方から修行に来ており、明日は私と同じ順番で札所を打つとおっしゃった。
松尾峠でバケモノに会った私は(すっかりバケモノに遭遇したことになっている)、明日越えなければならない歯長峠をかなり不安に思っていた。
ひと気があった方が心強い。
しかし、お坊さんは修行中だ、女性を連れて歩くことなど出来ないだろう。
まして、普通は女性と話さないのだろうが、私が一人でいるから気を遣って話し掛けてきてくださったに違いない。
そう思い込んでいた。
背に腹は変えられない、意を決して聞いてみた。
「明日の峠越えが心配なので、もしご迷惑でなければ少し離れて後ろをついて行っていいですか?」
するとお坊さんは一瞬ビックリした顔をされたので続けて
「お坊さんの姿が見える程度離れて歩きますので、、、」
お坊さんはにっこり笑って
「いいですよ」
と了承してくださった。
これで峠を恐々走らなくて済むのだ。ありがたい。
部屋に戻り濡れた髪を乾かし、足の指を消毒してお布団に入った。
松尾峠のバケモノがチラつき、毎度のことながら眠れぬ夜を過ごした。

午前4時に起床し、指の包帯をとって消毒をする。相変わらずボンボンに熱をもち腫れていた。
顔を洗い睡眠不足で疲れ切った顔にパックシートを乗せ一休み。
鏡を見たが、パックしている自分自身がバケモノみたいだ。
松尾峠のバケモノも、今の私を見たらビビるに違いない。
ザックを整理しお布団をたたみ、部屋を来た時の状態にした。
6時半、朝食に向かう。
今日は欲深ザックを千円払い25キロ先の今夜の宿である大畑旅館さんに届けていただくよう旦那さんにお願いしている。
山代屋旅館さんでは、津島町若松地区の宿まで荷物の配送をしてくださる。部屋のパンフレットで見てしまったのだ。
それを見て直ぐに宿に予約を入れたのだ。
ザックは本来自分で背負うのが修行であると思う、が、しかし、前回挫折リタイアした体力の無さに不安は隠せない。
ここは一つ、知らぬふりして楽してしまおうという悪巧みだ。
食事が終わるとお坊さんが、
「7時に出発しましょうか」
と声を掛けてくださった。
ん?これは一緒に宿を出て、一緒に歩くということなのか?
頼んであったお昼用おにぎり二個を受け取り、ザックを宿に預けた。
玄関で靴を履いていると、老夫婦に付き添っていた女性が宿をバックに写真を撮ってくださった。
お互いの旅の安全を願い手を振って三人を見送った。
しばらくするとお坊さんが一休さんルックで出てきた。想像以上に大きなザックを背負っている。
僅かな荷物で修行旅しているイメージがあった。
現に、以前の遍路旅で見掛けた僧侶はそれはそれは小さな小包を背中にくくりつけて歩いていたからだ。
菅笠は渋柿塗り、立派なお杖を持っていた。
出発前、太陽に向かい朝のお勤めと言い拝み出した。
慌てて私も合掌し、目を瞑る。
呪文のような言葉が聞こえ、般若心経を唱えていた。
最後にはデッカい声で「しゅったーっつ!!」
杖を地面にガシャーンと打ち付けた。
その音にビックリして心臓が止まるかと思った。
お坊さんが、行きましょうと声を掛けてくださったが、ショックで声は出ず頷く。
国道56を左手に海を眺めながら歩く。
今日の天気は快晴。風も止み、海も穏やかだ。
峠を越えるにはもってこいの気温である。
更に、私はザックが無く、さんや袋だけの軽装備のため心も身体も軽々である。
10キロ歩いたところで国道をそれ山道に入るため、手前の鉄工所でおトイレをお借りした。
鉄工所の方から頑張ってね、と声援をいただき峠の入口を目指す。
入口に入る前で北海道から来たおじさまと一緒になり、三人で登頂アタックとなった。
徐々に山道はキツくなり、えっちらおっちらと登る。
今日は一緒に歩いてくださる方がいて、宿も決まっているため何だか余裕があるのだ。
フヌケ状態で歩いていると、北海道のおじさまに荷物が無いことを指摘され、舌を出して
「えへへへ、宿から送りました」
と答えると笑われた。
しばらく登ると東屋があり、おじさま三人が休憩していた。
北海道のおじさまは迷わず東屋に入る。
私も疲れていたのでやっと座れると安堵したが、お坊さんは止まる事無く進んで行く。
あれ?と思いながら仕方がないので東屋をパスした。
通り過ぎる際、おじさま達と軽く挨拶を交わした。登っていく私の背中を、鋭い視線が刺す感じがした。
お坊さんの後姿を見ながら、
修行僧は休まず歩くのかなぁ
私は果たしてそんな修行に着いて行けるのかなぁ
考えていたその瞬間、お坊さんが休憩しましょうかと言う。
その距離、東屋からわずか数メートルだ。
座るところは無く、山道で立ったままの休憩だった。
何故に先ほどの東屋で休憩しなかったのか、勇気が無く聞けなかった。
再び歩き出し、柳水大師に到着した。
そこでお坊さんが私を祈祷してくださると言う。
お経本という分厚いジャバラの本を、バラバラバラバラと鳴らしながら閉じたり開いたり、初めての経験なのでビックリした。
水戸黄門のテレビで祈祷師がやっていたのを見た事がある。
薄っすら目を開け見学してしまう。最後にはお経本で肩、背中、腰、足をバンバン叩かれた。
祈祷が終わったので、お坊さんに合掌しお礼を言う。
「痛かった所はありましたか?」
問い掛けるお坊さんに、
「叩かれたところ全部痛かったです。」
と答えた。
痛かった所は悪いところらしいが、あれだけバンバン叩かれて痛くない人がいるのかと驚いた。
祈祷後、何だか肩が軽くなったような気がした。
清水大師を通過し、更に進むと急に景色が開け海が見えた。
時刻は午前11時刻を過ぎたところだった。
快晴の素晴らしい宇和島の海を眺めながら昼食をとることにした。
宿で作っていただいた大きなおにぎりをほおばる。
外で食べるおにぎりは最高に美味しいのだ。
食べていると先ほど休憩していた三人組みのおじさま達が現れた。
北海道から来た白いお髭を蓄えた高橋さん、和歌山から来た強面の松田さん、同じく和歌山から来た優しそうな井田さんだ。
私達の横に座り、一緒に昼食をとる。
高橋さんはまるで仙人のような出で立ちのため、高橋仙人と勝手に呼ぶことにした。
高橋仙人は密教の勉強をしていてかなりの知識とお考えがあるらしく、しきりにお坊さんに話し掛けていた。
聞くと今夜の宿は私と高橋仙人が同じで、あとの皆さんは近くの三好旅館さんだった。
この辺りから峠越えが続き、宿が少なくなるため同じ宿になることが多いらしい。
三人に挨拶し、再び歩き出す。
宿までは残り8キロほど。
山々の新緑、桜、水仙、菜の花などを眺めながらゆっくりおしゃべりして歩いた。
愛南町から宇和島市に入り、津島かも田の東屋で北海道から来たおじさまに再会し、一緒に休憩をすることにした。缶コーヒーを飲み、ダラダラと過ごす。
時刻は午後1時40分、今日はのんびりした遍路旅なのだ。
北海道のおじさまはお坊さんと同じ三好旅館さんだ。
三人一緒に歩き出す。
おじさまは奥様を亡くされ、七回忌のご供養としてお遍路をされていた。お位牌を持ち、一緒に歩んでいるという。
話を聞いてちょっぴり切なく、涙が出た。
真面目で堅実そうな雰囲気は、言葉少ないが奥様を愛してやまなかったに違いない。
私の夫とタイプが似ている。
私が死んだら、夫もこの方のようになるのかなぁ。そう姿を重ねてしまった。

午後3時にはそれぞれの宿に入った。
お坊さんから同じ宿に泊まるといいよと言われていたが、日中お世話になり、同じ宿だと夜まで気を遣わせてしまいそうで申し訳ないため、近くの宿であるこちらの旅館にお世話になることにした。
大畑旅館さんは古いが綺麗なお宿。
宿の旦那さんがとにかく腰が低く、とっても優しそうな方なのだ。
お風呂をいただき、部屋に戻ると高橋仙人が到着した。
私を呼ぶと、にっこり笑顔でお饅頭を五個もお接待してくださった。
さあさあ遠慮せず食べなさい、と進められた。
途中の喫茶店で三人で休憩した際、コーヒーにこのお饅頭がついていて、あまりに美味しかったから私にも食べさせてあげたいと思い、お店の方に頼んで譲っていただいたらしい。
ありがたく食べる。
酒蒸し饅頭で凄く美味しかったため、夕食前なのに三つも食べてしまった。
今夜は逆打ち遍路のおじさん、高橋仙人、私の三人で夕食をいただいた。今宵はお酒抜きで、遍路話に花を咲かせた。


翌朝4半起床、6時半朝食をとった。
逆打ち遍路さん、高橋仙人の順で出発して行った。宿の旦那さんと一緒に見送った。
私はお坊さんが7時ごろ私の宿に寄ると連絡をくださっていたので、出発出来る準備をし玄関で旦那さんとおしゃべりして待つ事にした。
そして、今夜と明日の夜の宿は同じ所に泊まるようお坊さんからアドバイスをいただいていたので予約しておいた。
午前7時、お坊さんが到着したため、旦那さんに挨拶し出発することにした。
今日も晴天、次の宿まで28キロだ。
しばらく歩いた国道沿いで太陽に向かって朝のお勤めをした。
最後のお杖ガシャーンでまたびっくりしてしまう。
緩やかな国道の上り坂を上がると、松尾トンネル手前で遍路道は左の山道へと続いていた。
足場の悪い道が続いたが、ゆっくり登れば女性でも大丈夫な程度の山道だった。
しかし、そんな余裕をかましていたら道を間違えてしまった。
お坊さんの機転で引き返し難を逃れたが、二人で歩いていたにも関わらず、間違えようのない道を進んでしまったことが不思議だった。
採石場を通過し、再び国道56に出た。景色は徐々に街中へと入って行った。
バス停にベンチがあったので小休止にし、明後日通過する辺りは山の中であり、宿があまり無いため早く予約するようお坊さんから言われたため、内子のふじや旅館さんに電話をした。
すると満室だと断られてしまった。残りは二つの宿しかなく、その内一つはあまり評判の良く無いところのようだ。
もう一つの高橋旅館さんに電話してみたが、既に廃業しており遍路地図の電話は使われていなかった。高橋旅館さんへの電話を切り困ったなぁー、とお坊さんに話し掛けた瞬間、電話が鳴った。
出てみるとふじや旅館の旦那さんからで、女性ひとり旅で宿が無いと困るだろうから宴会場で良ければ泊まってくださいと申し出てくださったのだ。
寝る場所などどこでもいい、ありがたく泊めていただくことにした。
やっと三日分の宿が決まったのでホッとした。缶コーヒーを買い、高橋仙人からいただいたお饅頭の残りをお坊さんと食べた。

馬目木大師にお参りし、宇和島の街に入った。
商店街のアーケードに入り地図を確認する。
時刻は午前11時過ぎ。昼食をとることにした。
お坊さんに何が食べたいか聞くと、お好み焼き、と答えた。
商店街にある観光案内所に行きお兄さんにお店が無いか聞いてみた。
あいにくお好み焼き屋さんは無かった。
宇和島と言えば、宮本くんが鯛めしを食べるといいと言っていたので、鯛めしのお店を聞いてみると、よし来た!とばかりにお兄さんが身を乗り出した。
地図を渡され、
丸水(かんすい)
という鯛めしの老舗割烹店を教えてくださった。
お坊さんに鯛めしで良いか聞くと、了承してくださったので丸水に直行する。
店内は開店したばかりのため、一番乗りで個室に入れていただいた。店内は落ち着いた感じの良い雰囲気だ。
鯛めしと言えば、お釜で炊き込んだものを想像してしまうが、宇和島の鯛めしは鯛のお刺身を特製ダシと生玉子に混ぜてアツアツのごはんに掛けて食べるのだ。
鯛めしと鯛のコロッケを注文した。味は絶品、コロッケもとても美味しく超オススメだ。
しかも、こちらの女将さんはとっても親切、丁寧で、若女将さんもピチピチ若く綺麗な方だった。
お会計の際、私達の旅が安全に進めるよう縁起の良い
鯛の鯛
という一匹の鯛から一個しか取れない鯛の骨を御守りにとくださった。
安全守りとしての他に、お財布に入れると金運が舞込むと説明してくださった。
「鯛の鯛でお金が貯まったら、そのお金でまたこちらのお店に食べに来ますね。」
私が応えると、女将さん、若女将さんが笑って喜んでくれた。
女将さんが外まで見送ってくださり、お礼を伝え旅路へと戻った。
気持ちの良いお店、お腹も満足で気分は良好だ。
再び国道を歩く。徐々に街から離れて行く。その前にドラッグストアに寄っていただき買い出しをすることにした。
フェイタス、マキロン、包帯、ガーゼ、化粧水、パック、お茶などなど、久しぶりに大きなドラッグストアだったので嬉しくて買い物しまくりだ。
国道56から県道57に入り、長い長い坂道をひたすら上る。
お坊さんにいろいろ聞いて歩いた。
お坊さんの日常生活、火事で焼死した方を火葬したら可哀想じゃないのか、自殺して遺体が見つかっていない友人のお母様への供養の仕方などなど普段聞けないことを聞きながら歩き続けた。
県道から田んぼ広がる道にはいり、午後3時45分、やっと41番札所龍光寺に到着した。
高台にあり、見渡す景色が自然いっぱいのお寺だ。
今日はお坊さんが一緒なので、本場のお経を聞いて後ろで一緒にお参りさせていただくことにした。
お経本に載っていない呪文のようなお経もあり、私の片言のお経とはずいぶんと違っていたし、般若心経も早くて本を目で追うのがやっとだった。
かろうじて、一番最後の「般若心経?」だけ合わせて言えることが出来た。
40以上のお寺を回ってきたのに、全然お経が上達しない自分が悲しかった。

 
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