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女大師様との運命的な出会い

うさぎさんのお遍路道中記

作成日:2012年04月29日 訪問日:2012年04月09日
44番札所 菅生山大寶寺


明石寺を後にし、暗い山道を抜けると卯之町の古い街並みが現れた。
昔は街道として栄えていたのだろか、古い建物、道端の小さな石碑などがその歴史を語りかけてくるようだ。

しばらく街並みを眺めながら進むと、国道56に合流した。
ここまで一緒に来ていた和歌山のおじさま達は、山道を凄い勢いで下りて行ったため後を追うがその姿は小さくなり、いつしか見えなくなっていた。
またお坊さんと二人になり、ゆっくりしたペースで歩く。
国道に歩道はあるものの、さすがに車が多く歩き辛い。
何より排気ガスを吸い込むと、少し呼吸が苦しくなるのだ。
時折タオルで鼻と口を覆いながら歩いた。

明石寺から9キロくらい歩いただろうか、道は徐々に登り坂に入ろうとしていた。
昼食を取りたいが、飲食店もコンビニも無く、この先の鳥坂峠を越えないと何も無いようだ。
峠に入る前におトイレに行きたくなり、宇和町信里にあった酒六冷蔵株式会社宇和工場さんにお願いしてお借りすることにした。
ちょうど昼食をとっていた従業員さんが四名。
ガラス扉越しに先ずは目線でご挨拶。扉を開けて、おトイレをお借りしたいとお願いした。
すると快く使っていいよと言ってくださった。
お坊さんに、
「おトイレ貸してくださるって!」
と言うと
「僕も行きたい」
と言ったので、レディファーストならぬ、お坊さんファーストで先に使っていただくことにした。
ザックを下ろし、いつでもおトイレに行けるよう輪袈裟も取る。
今日は肌寒く、手がかじかんでいた。
おトイレは外にあり、順番を待っていると従業員さんが
「寒いでしょ、お茶を入れるから中に入ってください。」
と呼んでくださった。
「すみませんお食事中に」
と言いながらズケズケ入って、チョコンと応接ソファーに腰掛ける。
中は天国のように暖かく幸せだ。
天国がどれだけ暖かいか実のところ知らないが、たぶんこんな感じであろう。
するとトイレから出てきたお坊さんが、ガラス越しにぬくぬくとソファーに座る私を見て驚いた顔をしていたので、ペロリと舌を出して中に呼び寄せた。
おトイレに駆け込み、ほ?っとなって出てくると熱いお茶とチョコレートや飴を出してくださっていた。
かなり冷え性な私は温かいお茶を欲していただけに、さらに気分は天国だ。頭から花が咲いてしまいそうになる。
少しお話しをして、昼食が取れるポイントなどを教えていただいた。
お礼を言うと、車に気を付けて頑張ってくださいね、と温かいお言葉までもいただいたのだ。
とっても親切な酒六冷蔵株式会社の皆さん、ありがとうございました。
物凄く元気になったのは言うまでもない。

いよいよ鳥坂峠に向かう。
峠を越えるには山道とトンネルの二通りのルートがあり、排気ガスが苦手な私は山道もこの勢いで通ってみたかったが、お坊さんのアドバイスによりトンネル越えをすることにした。
トンネルの入口に歩行者用の反射光タスキがあり、首から掛け長い長いトンネルをタオルで口を覆ぎながら歩いく。
西予市から大洲市に入りトンネルを抜け出る。
大洲市に入ると少し天気が良くなり気温も上がっていた。一山越えるだけでこうも違うのかと驚く。
時刻は午後1時40分、坂道を下ると右手にたこ焼き屋さん、ラーメン屋さん、喫茶店がならぶパーキングが見え、お坊さんはお肉がダメでラーメンが食べれないので喫茶店に入ることにした。
私はランチ、お坊さんはエビフライカレーの大盛りを注文。
ここまでお坊さんを見ていて、私が持っていた僧侶のイメージとずいぶん違うので色々驚くことが多った。
当たり前だが、僧侶の服装以外は普通の人間なのだ。
なんて考えていると窓の外を和歌山のおじさま達が通り過ぎたのが見えた。どうやらラーメン屋さんに居たようだ。
私達も食事を取り珈琲を飲んで満腹遍路となり、再び歩き始める。

今夜の宿は伊予大州駅近くのビジネスホテルオータさん。
久しぶりにビジホ、お風呂の時間も気にせず入れるのだ。
午後3時過ぎ宿に到着した。
俗衣装に着替え、洗濯しに行くが既にお坊さんが使っていた。
仕方がないのでシャワーを浴びる。
夕方、食事がてら大州の街をウロウロ。
あまりに寒い日が多いため、聞いたことの無いデパートでインナーを購入し、ドラッグストアにも寄り散財した。
私は日頃三食パン生活を送っている。遍路旅でパンに飢えていた私はパン屋さんで明日の朝食を買うことにし、お坊さんの分もたくさん買い込んだ。
夕食は駅近くの居酒屋さんへ。
お坊さんと居酒屋に入ることになるとは夢にも思わなかった。
居酒屋は超久しぶり。外食する際は静かなお店にしか夫が連れて行ってくれないからだ。
賑やかな店内で二人で飲んでいると、近くの旅館に泊まっている松田さんから合流していいか伺いの連絡が入る。
場所を変えて松田さんを交え二次会が始まった。
お遍路旅に来て、まさかのはしご酒である。
夕食と酒代はすべてお二人がお接待してくださった。ご馳走様でした。
午後10時半を回る頃、宴会はお開きとなった。
ホテルに戻り洗濯、乾燥機を終えると既に深夜1時を回っていた。

翌朝4時に起床し、6時に出発。
車も人通りも少ない朝の国道を真っ直ぐ真っ直ぐ歩く。
今日は晴天だが、凄く寒い。
一時間ほど歩くと番外の十夜ケ橋に到着した。
お遍路旅に出る際、是非寄ってみたいと思っていたところだ。
本堂、大師堂でお参りをする。
そこでこちらのお堂のお掃除などを手伝っているという地元のおじいちゃんに声をかけられた。
おじいちゃんはお遍路さんのために、自宅で取れたはっさくをお接待しているという。
持って行きなさい、持って行きなさいと言ってデッカいはっさくを三個もくださった。これがかなりの重量だ。
おじいちゃんのお気持ちなのでありがたくいただくが、二個しかザックに入らない。
困っているとお坊さんがお供えして行けば良いとアドバイスしてくださった。
橋の下に寒そうに寝ているお大師様にお経をあげ、はっさくをお供えする。
ここから金剛杖を橋の上でついてはいけないということが始まったのだ。
私はボンヤリ歩いていて度々ついてしまうことがあった。
こんな寒い橋の下で眠れぬ夜を過ごしたお大師様の気持ちを思うと、何だか切なくなる。
ここに来た以上は、橋を渡る時はこれまで以上に気をつけなければならない。
そう思いながらも記念写真だけは忘れない私は罰当たり者だ。
そんな私達のいる橋の上を、和歌山のおじさま達が先に行くね、と合図を送り通り過ぎて行った。

番外を後にし国道を歩く。
途中、ローソンに寄ってお昼ごはんを買っておくことにした。
すると国道を歩いていた男性の歩きお遍路さんが、
「名古屋から来た方ですか?」
と声を掛けてきたのでビックリした。
何故に私が名古屋から来たと知っているのか、以前22番平等寺の納経所で同じようなことがあったのを思い出した。
この男性こそもしや千里眼を持っているかも知れないと、駆け寄り話を聞いてみた。
男性は名古屋から来た水谷さんといい、背が高くダンディな出で立ちから勝手にダンディ水谷と呼ぶことにした。
ダンディ水谷さん曰く、昨夜泊まった宿で一緒になった三人組が私の話題を酒の肴にしていたと言う。
話を聞いてピンときた!
絶対、和歌山のおじさまと、高橋仙人だ。
しかし、お遍路のネットワークは凄い。
全く知らない者同士が、こうやって繋がっていくという事に感動すら覚えたのであった。
お坊さんに、どうしたの?と聞かれ、今あったことを話して聞かせ
ると、
「みんなお坊さんと歩いているのが羨ましいのでしょう。」
とおっしゃる。
ん、、、そう取るかぁ、と思ったが、私は関西人では無いのでこのギャグにツッコミはしないでおき、先を急ぐことにした。
神南堂と地図にある東屋で遅い朝食をとる。
昨夜パン屋さんで買っておいたパンを二人で食べた。
ここで、大阪の伊吹さんご夫妻から電話があり、私の体調と足の指をとても心配し気遣ってくださった。いつも感謝してもしきれない気持ちになる。
元気に歩いていることを報告し、宿の情報交換をする。
再び歩き出すと、道は国道56から住宅街に入り、野球場が見えてきた。
トイレポイントであったのでここでトイレ休憩をいただく。
実は、この時既に右脚の付根に痛みを感じていたのだ。
おトイレでフェイタスを貼ってしのぐことにしたが、ここから苦しい旅になろうとはこの時思ってもみなかった。

街全体が綺麗で雰囲気の良い内子の街を通過し、更に増す痛みを我慢して午前10時10分、道の駅内子フレッシュパークからりに到着した。
地産地消の旗とともに、大規模な野菜や果物など新鮮な食材が販売されており、大勢のお客さんでごった返している。
先を進んでいたおじさま三人組が休憩していたのを見つけ、私達も休憩を取ることにした。
お坊さんから美味しいご当地アイスクリームのお接待をしていただき、おじさま達と雑談する。
高橋仙人は愛しのお坊さんに再会し密教の話でもしているのか、二人で真剣な顔をしていた。
足が痛いと話す私に松田さんが、
「荷物は俺が持って行ってやるから一緒に行こう、手ぶらで来い。」
と言ってくださった。
あまりの男っぷりに惚れ惚れしたが、こんなに欲深い重量級ザックを持たせるわけにはいかないし、まだ15キロ以上歩かなければならないのだ。
そこまでご迷惑をお掛けする訳にはいかないので
「ありがとうございます、ゆっくり進みますから大丈夫です。」
とお断りした。
が、後でこのことを後悔することになる。
おじさま達が先に出発し、アイスクリームを食べてから後を追う。
足は既にちゃんと上がらず引きずる感じになっていた。
少しでも荷物が軽くなるようにと、いただいたはっさく二個をお坊さんに手渡す。
しかしどうにも痛みは軽くならなかった。

気を紛らわすために何かお話ししながら歩くことにした。
話はすぐにベールに包まれたお坊さんの日常生活の話題になる。
私のイメージでは、お坊さんは主に精進料理を食べ早朝からお勤めをし、修行中は女性とはあまり接してはいけないものだと思っていたが、話を聞く限りではまったく違っていたのだ。
お坊さんの私生活の実態を知る度にビックリしつつ、お坊さんらしからぬ発言の度に、ついキツく意見してしまうことが何度もあった。
そして、そんな彼に反論してしまう自分自身もまだまだ修行が足りないと、反省しながら歩みを進めた。

時刻は正午を過ぎ、お遍路無料宿に差し掛かる。
無料宿のベンチではダンディ水谷さんが休憩していた。
ダンディ水谷さんは足の裏に巨大なマメが出来てしまい、足の裏の皮がベロンベロンに剥けていた。
そして、私と同じ様に親指の爪が腫れ出血していて、毎朝病院で消毒をしてもらってから歩いているという。
こんなところで親指仲間に出会えるとは思わなかった。
変な親近感を覚えるが、足の裏が無傷な私の方がずいぶんマシであることが分かった。
こんなになっても歩き続けるお遍路さんって凄いと思う。
ダンディ水谷さんが去った後、お昼をここで食べることにした。
おじいちゃんからいただいたはっさくも、美味しくいただいた。
ちなみに、無料宿には畳とお布団があり、野宿する人にはありがたいところだ。利用は二泊までと貼り紙があった。
しかし、女性だけではちょっと泊まるのは恐いかもしれない。

昼食を済ませ出発するが、足の痛みは更に酷くなり、腰や太ももまで広がっていた。
時折休みながら進むが、歩きを止めるとその時は一瞬楽になるが、再び歩き出す時に激痛が長く続くことが分かった。
次第にペースも遅くなる。
何としてでも、今夜の宿であるふじや旅館さんに行かなければならない。ご好意で宿泊をOKしていただいた宿だ。
わざわざ電話を掛け直してきてくださった宿の方に、直接お会いしてお礼を伝えたかった。
猛烈な痛みに耐えながら楽水大師に到着した。
お参り後、更に増す痛みを堪え、後は黙々と立ち止まる事なく歩くしかなかった。
前回の挫折した時を思い出す。
ただ違うのは肺が痛くなく、呼吸が出来ることだ。
足の痛みだけなら何とか頑張れる、絶対宿まで歩いて行ける、そう自分に言い聞かせた。
しかしこの時、松田さんの顔が浮かんだ。
自分自身が頑張るしかないと言っておきながら、
あの時、道の駅で荷物を持って欲しいと甘えておけば良かった
と都合のいい事を思ってしまうあたりが人間が出来ていない証だ。
痛みを我慢して歩く道のりは、とてつもなく長く感じてしまう。
しばらく歩くと、道は鵯田峠と農祖峠の二手に別れた。後4キロで宿に着く。
痛みと痺れが背中まで走る中、休みなく歩き続け少し手前の道の駅せせらぎにやっと到着することが出来た。

ひとまずベンチに座り腰から膝までをマッサージした。
痛みを覚えてから既に6時間が経過していたのだ。もう身体は限界だった。
うな垂れる私の隣に座ったお坊さんに、地元のおじいちゃんが何処から来て、何処にいくのか話し掛けている。
しかし、おじいちゃんは彼が答えてもまた同じ事を質問する。
同じことを四回目聞いたところで、さすがに二人のやり取りが可笑しくてクスクス笑ってしまった。
おじいちゃんは可愛らしく、きっとこの道の駅に来る方とおしゃべりするのが楽しい日課なのだろう。
おじいちゃんに挨拶をして、宿まで少しの距離をおじいちゃんの話をしながら笑って歩いた。
たぶん、私達の言葉を無くした行動を見て、お大師様が笑顔を取り戻すよう遣わせてくださったおじいちゃんに違いないと思った。

今夜の宿、ふじや旅館さんは内子町の山の中にある古い料理旅館だった。
無理に泊めていただいたことへのお礼を伝えることが無事出来た。
部屋に通されると電話で話していた宴会場では無く普通の部屋なので驚いた。
そして、ここで運命的な出会いをすることになる。
なんと、私を含めた宿泊客五人の中に、女性の介護福祉士さんがいた。
しかもこの方、バレーボールを趣味とし、マッサージやテーピングの知識豊富な方だったのだ。
私が脚の付根を痛めていることを知ると、丁寧にマッサージや湿布貼りと背中から膝までテーピングをしてくださった。
マッサージを30分受けるとずいぶんと痛みが引いたのには驚いた。
私の場合、脚の付根の痛みは腰から少し上の背中左の筋と筋肉に炎症を起こしているからだと説明してくださった。
もし、この方が同じ知識を持った男性ならマッサージ等はお願い出来なかっただろう。
なぜなら、湿布やテーピングをする場所が裸にならないと出来ない所だからだ。
なんという偶然、奇跡なのか。これもすべてお大師様のお導きだと感じた。
この後、この方とは名古屋に一緒に帰ることになる。
お名前が珍しいため、ここでは書くことが出来ないが、勝手に女大師様と呼ぶことにした。

宿には他に、徳島から来た先達の資格を持つベテランお遍路の辻さん、そのお連れで明るく頼りになりそうな川原さんがいた。
夕食はこの五人で楽しくいただくことになった。
部屋が普通の部屋だったことを話すと、お坊さんの部屋が私の泊まる予定の宴会場だったことを聞いて驚いた。申し訳ないことをしてしまった。

翌朝4時前に目が覚めた。
脚の付根の具合が心配で仕方がなかったのだ。
起き上がり、部屋の中を少しくるくる回ってみる。
痛みが酷いようならこの先を諦めるしかないと思っていた。
が、しかし、完全とまではいかないが、痛みはかなり取れていたのだ。
先に進める、また歩ける、嬉しくてヨシッと右手でガッツポーズだ。
身支度を整え朝食を済ませた。
辻さん、川原さんが先に出発した。
午前7時、私達は女大師様と三人で宿を出た。
とても優しい旦那さんと女将さんだった。
ここに泊まらなかったら、私は今頃帰路についていたに違いない。
深く一礼し、歩き始めた。

宿の前の道をおしゃべりしながら歩いていると、地元のお母さんに
「お遍路さん!違う違う、あっちあっちー」
と、道を間違っていることを指摘された。
橋を渡って国道380に出るところを、誤って県道52を進んでしまうところだったのだ。
これはボンヤリ歩いていると間違えやすいため、要注意だ。
しばらく川沿いの山の中を歩く。道はずっと上り坂だった。
途中、東屋を見つけた女大師様は、休憩するから先に行ってと私達を見送っている。
人に合わせて歩くのも歩いてもらうのも好きじゃない、と昨夜話していたのを思い出し先に進むことにした。
右脚の付根は、痛みはするが何とか引きずる事なく歩けている。
今日は峠道が続くため、少し不安もあるが、その反面、前後に知っている人達がいると思うと不思議と安心感もあった。

三島神社まで行くと辻さん、川原さんが休憩していた。
一緒に行きませんか、と声をかけるとお二人とも笑顔で立ち上がり四人で歩き始める。
ここから遍路道は落ち葉降り積もる山道を進む。
辻さんは心臓が悪く、ゆっくりゆっくり登る。
それを川原さんが先導しながらサポートしていた。
しばらく登りの山道が続いたので、川原さんから先に行ってと言われ、お坊さんと二人で先に進む事にした。
途中真っ暗なトンネルを恐々通過し、国道380から県道42に入るところの農協でおトイレをお借りした。
この辺りには公衆トイレがないので、女性は注意が必要だ。
おトイレに行っている間に、辻さん、川原さんに追い付かれ追い越されてしまった。まるで、うさぎと亀の話のようだ。
もちろん、私は名前も行動も『うさぎ』である。

県道を一キロ歩くと遍路道は右の山道へ続き、いよいよ農祖峠越えとなった。
山道に入って早々、枝分かれした道が何本かあり迷ったりもした。
何とか遍路札を見つけえっちらほっちら登り続けた。
足場がわるい所も何ヶ所かあったが、それほど険しい道は無かった。噂では、鵯田峠の方が険しく大変らしい。
しかし、やっぱり山道は薄暗いのだ。
バケモノが出る可能性があるから、女性一人はやめておいた方がいいだろう。
峠の上でお二人と合流し、再び四人でおしゃべりしながら歩いた。

峠を下り、遍路道は山道からアスファルトの道へと変わり少し街らしくなってきた。
遍路シールに従い、木がうっそうと茂る道へと入ると長い階段が続いている。
時刻は間もなく午前11時を迎えようとしていた頃、44番札所大宝寺に到着した。
二日ぶりの札所にやっと辿り着いたことへの達成感がジーンと湧く。
山門は古く大きい。
階段を更に上がり本堂にてお坊さんの後ろでモゴモゴお経を唱え、家内安全を祈願した。
大師堂でもモゴモゴお経の後に、ここまで無事辿り着けた事への感謝の気持ちと、足を治してくださった女大師様への感謝の気持ちをお伝えした。
納経を済ませてやっと一息つく事ができたのだ。

ここに来て、何だか疲れてしまった。
これからまだ45番札所へ向かわねばならない。
しかし、体力的な疲れではないようだ。
この時、遍路旅で初めての人間関係への迷いと疲れを感じていたのであった。

 
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