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嵐を呼ぶ女

うさぎさんのお遍路道中記

作成日:2012年04月19日 訪問日:2012年04月04日
39番札所 赤亀山延光寺


4月3日火曜日
午前4時半起床。
昨夜から暴風雨となったせいで、夜中は窓に雨が叩きつけられる音でなかなか眠れなかった。
6時になっても外は暗いままだ。
6時半、朝食をいただく。
朝から鯛のお頭付き煮付や湯豆腐などなど超豪華食事をいただいた。
居心地が良すぎるこのお宿に連泊したい欲望にかられる。
食後には珈琲も出してくださり、女将さんと今日の天気について話し合う。
「凄い雨よ、本当に行くの?」
とても心配してくださる優しい女将さん。
身支度を整え、午前7時玄関に向かう。
女将さん、旦那さんが不安そうに私を見つめ、
「お父さんが途中まで車で送っていくって言ってるけど、やっぱり歩きじゃないとダメなの?」
お気持ちが、すごくありがたかった。
「大丈夫です。酷くなったら雨宿りしながら歩きますね。」
そうお伝えし、意を決して玄関の扉を開けるともの凄い風が吹き荒れていた。
一歩出た瞬間、ポンチョがめくれて膝から下がびしょ濡れになる。思わず引き返しそうになる。
女将さんに見送られながら、昨日歩いた道を打ち戻り始めた。
海は大荒れ、台風並みの暴風雨だった。
向かい風が強く、前に進むどころか立っていることさえ出来ない有様だ。強い風が吹くたび立ち止まり踏ん張る。それを繰り返しながら少しずつ前に進んだ。
暑い夏の日、台風の中を宮本くんと歩いた道のりを思い出した。
あの時は彼がいたから頑張れた、彼がいなかったら独り歩けなかっただろう。
でも、今の私なら大丈夫。みんなのおかげで強くなった。
神経もずいぶん図太くなった。
横風に左右に振られながら海沿い県道27をひたすら歩いた。
数台の車が通るだけで、誰にも会わない。
強風で何度も菅笠が飛ばされそうになり、両手で押さえて頑張った。
休みなく窪津を通過すると、田んぼでは蛙が大合唱していた。
あまりに凄い大合唱だったので、何故だか笑が込み上げ、ツボに入ってしまった。笑い上戸の私はしばらく笑続けた。
こんな姿を他人が見たら、暴風雨に打たれ頭がおかしくなったお遍路にしか見えないだろう。
すると今度は雷が鳴り始める。
空を見上げ、ビクビクしながらも止まらず歩いた。
前回休憩した以布利漁港の東屋で休憩をとることに決めていたのだ。
以布利の分岐まで11キロ、もう既に下着までずぶ濡れだ。
背中と胸元だけが辛うじて濡れていなかった。
時刻は午前10時、13キロ弱歩いて以布利漁港に到着した。
何とかここまで来ることが出来た。体調と天気を考慮し、お世話になった民宿久百々さんで今夜泊まろうかとも考えたが、日程上少しでも前に進みたかった。
一目会ってお礼だけ伝え先に進もうと思った。
トイレ休憩をし、再び歩きだす。
雨風は強くなるばかりだ。県道から国道へ入る。
今回も海が荒れていたため、大岐海岸の遍路道には入らず、ひたすら国道321を歩いた。
民宿久百々には午前11時半ごろ到着した。
玄関には女将さんの車は無く、覗いてみたが誰もいない。
置き手紙を書こうにも全身ずぶ濡れの私には今は無理だ。
誰も居ない玄関に向かい深く一礼し、結願したら改めて来ようと思い後にした。
鍵掛橋を越えた辺りで雨が止み、強風だけになる。
雲の隙間に太陽が顔を出してきたのを確認し、ポンチョと菅笠を取った。
しばらく歩くとスリーエフがあったので、パンとらくれんの珈琲牛乳を買ってお昼にした。
スリーエフでは毎回ペットボトルのお茶をお接待してくださる。ありがたい。
ベンチに腰掛けるが、強風で菅笠が飛ばされ追いかける。
またベンチに戻るとポンチョが飛ばされ追いかける。
またまたベンチに戻ると今度は遍路地図が飛ばされ追いかけた。
休憩するつもりがクタクタになってしまったのだ。
オマケに靴がずぶ濡れのせいなのか、両足の指先がもの凄く痛いことに気付いた。
今見ると恐くて歩けなくなりそうなので、宿に着くまで見ないことにした。
再び歩き出し、正午過ぎにはドライブイン水車に到着した。
ここで38番札所に向かう歩きお遍路さんに次々遭遇する。
だが打ち戻り、同じ方向に行く人は誰もいない。
おじさまお遍路さん達としばしお喋りしながら休憩をとり、地図とにらめっこだ。
この先宿がほとんど無い。ここから14キロ先に清水川荘という宿があるだけだった。全身ずぶ濡れのため、一番近い清水川荘さんに
迷わず電話し、予約を入れた。
時刻は12時45分。先ずは真念庵に行くことにした。
ドライブイン水車から少し歩いたところに真念庵こっちだよ、という遍路札があり急な山道へと続いていた。
一瞬ためらうも、ヤケクソになりガシガシ登った。
暫らく雨に濡れた山道を歩く。靴はドロドロだ。
お墓が立ち並び、肌寒い山の中に真念庵はあった。
おどろおどろしい空気、怖くてゆっくりお経を唱えることなど出来るわけがない。
お賽銭を入れ手を合わせてお参りし、すぐさま階段を下りた納経所へ向かった。
が、誰も居ない。
犬に散々吠えられながら辺りを見渡すと貼り紙に携帯番号が書いてあったので電話してみた。
留守番電話だった。
ご近所の方が出てきてくださり、畑に行っているのではないかと教えてくださった。
お仕事の邪魔をするわけにはいかないので、止む無く納経は諦めることにした。
民宿岬光の女将さんのアドバイスで県道46を歩く。まばらではあるが、民家もあり何かあった時に助けてもらえるからこの道を歩くと良いとのことだ。
アスファルトで綺麗に舗装された道を延々と歩いた。
時折吹く突風で菅笠が飛ばされ、内側の骨がボロボロに壊れてしまった。菅笠の内側は手拭いなどで補給しておくことをオススメする。
しばらく続く坂道。
三原村に入り、緩やかではあるが登り坂が続き挫けそうになった時一台の車が止まった。
私より少しだけ歳上らしい女性が、山道を独り歩く私を見つけ追いかけて来てくださったのだ。
車で次の札所まで送り、その先の宿毛まで乗せて行ってくださると言う。
しかし、後6キロ程先の清水川荘さんに泊まるため、喉から手が出る程このお接待をお受けしたかったが、宿を断るのが申し訳なく出来なかった。
そのことを説明すると女性は手作りの筍ごはんを手渡しくださり、女の一人旅は十分気をつけなさいね、と優しい声を掛けてくださった。
お礼を言い、見送った。
午後3時過ぎ上長谷集落に入りトイレ休憩をした。お菓子を口に入れながら再び歩いた。いただいた筍ごはんを食べたかったがお箸が無く食べれなかったのだ。
県道、遍路道、県道、遍路道を遍路シールに従い進むと、少し街らしくなってきた。
交通量も増えひと気があるので少しホッとした、が、直ぐに民家は無くなりまたアスファルトの道だけになった。
黙々とただひたすら歩き、午後4時半過ぎ宿に到着した。
ここで、民宿岬光に電話して無事に三原村に着いたことを報告した。女将さんと旦那さんは気を揉んで私に何かあったかもしれないと電話しようとしていたらしい。
とても良くしてくださったあげく、宿を離れても尚且つ心配してくださる優しい方々。この人達がいるからこそ、お遍路さんは安心して四国を回る事が出来るのだと実感した。

今夜のお宿のおじさんは大村崑似の優しい方で、男独りで経営していた。
部屋に案内されるが、やはり男の方独りでは掃除が行き届かないらしい。
腕まくりしてこのお宿の大掃除をしたかったが、そんな勇気も無かった。経営がうまく行っていないと嘆いていらっしゃる。
食事も決して豪華なものでは無かったが、おじさんの一生懸命さが伝わってきたので泊まって良かったと思った。
お風呂に入った際、足を見たらホラー映画のように親指が二倍に腫れ、爪の根元が膿んて鬱血していた。
痛みを堪え、綺麗に洗ってマキロンで消毒した。見たことねない酷い有様に怖くなった。もしかして腐って落ちてしまうのではないか、ジョーダン抜きで腫れ様にビビりまくった夜だった。
寝ようにも両足の親指がボンボンズキズキ痛くて痛くて眠れなかった。

4月4日水曜日
午前3時過ぎには足の痛さで横になっていられず起きる。
4月だというのに山の中の朝は寒い。堪らずエアコンをつけた。
恐る恐る包帯を取り親指を見ると、昨夜より更に腫れてかなり熱を持っていた。
暫らく眺めて考える。
病院に行くべきか行かざるべきか。
遍路旅を続けるべきか帰るべきか。
これまでの長い道のりを思い起こす。
前に進みたい。
そう思うと迷いは消えた。
ティッシュにナイフ、マチ針、マキロン、ガーゼ、包帯、テーピングを並べる。
よし!暫らくの我慢だ。
ライターでマチ針とナイフを炙り、マチ針で爪の付根に出来た膿だまりを少しずつ刺して穴を開けた。穴からナイフを入れ膿をだす。続いて爪の間にナイフを入れ1センチほど切って爪を強く押し血膿を抜いた。
両足同じように血膿を出し、マキロン一本をすべて使い感染症にならないよう念入りに傷口を開けて消毒した。これが一番痛かった。
ガーゼと包帯、テーピングで固定し、一息ついた。
怖かった。すごく怖かった。
気付くと5時過ぎになっており、身支度を整えたころ朝食が出来たと声を掛けられた。
両足の指が床につかないように歩く姿がよっぽど異様だったのか、おじさんが私の足を心配してくださった。
朝9時までに用事を済ませれば、それ以降明日の夜まで時間があるから、この先のお寺を数カ所車で回ってくださるとお接待を申し出てくださったのだ。
一瞬迷いが生じるが、どんな姿になっても歩いて結願したい気持ちがあったので、そのことを説明し、丁重にお断りして午前6時半出発することにした。
おじさんは、
「どんな所でもいい、歩けなくなったら私の携帯に連絡しなさい。すぐに行くから。」
優しく見送ってくださった。
靴を履いただけで激痛に襲われるが、なるべくかかとに重心が行くよう我慢しながら歩き10キロ先の延光寺を目指す。
とにかく足の痛さを我慢する。次第に親指をかばうあまりか、膝や足の付根が痛くなってきた。
なるべく姿勢を正し、偏った歩きにならないよう気を付けた。
山道を抜け、民家道を歩くと平田の町が見えてきた。国道56に合流し、午前8時45分39番札所延光寺に到着した。
2日ぶりのお寺に辿りつけて何だかホッとした。
広く綺麗な境内を数人のおじいさん、おばあさんが一生懸命掃除していた。
挨拶をしながらベンチにザックを下ろし、本堂で家内安全を祈願、大師堂では民宿岬光のご夫婦、清水川荘のおじさんのご多幸と無病息災を祈願した。
そして、ここまで導いてくださった事への感謝の気持ちをお伝えした。
納経を済ませ、ベンチに座る。
足はかなり熱を持っている。
帰るポイントはこの先の宿毛だ。
それを越えると松尾峠が待っている。この足で峠が越えられるだろうか。
空を見上げると、今日はいい天気だ。朝の空気を胸いっぱいに吸い込み背伸びをした。
行ってみよう、何とかなるさ。
自分に暗示をかけた。
時刻は午前9時5分だった。

 
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