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清瀧寺から宇佐町の宿に泊まり青龍寺へ

蛙さんのお遍路道中記

作成日:2013年02月25日 訪問日:2012年12月23日
36番札所 独鈷山青龍寺


12:30清瀧寺を下山する。15分ほどで登山口まで下りた。途中、迷った墓地の入口を通ったが、間違える場所ではない。不思議である。
土佐市内を歩いていると、県道39号線に突き当った。表示は、「右に四万十市、左に高知」である。高知方面は戻ることになるので、右に進むが、何か変である。近くにタクシーの営業所があったので洗車中の運転手さんに聞くと、逆に歩いているとのことである。よく迷う日である。
14:20塚地峠を越えて須崎市に向かった。峠越えの遍路道は、整備されたハイキングコースになっている。20分ほど登ると塚地峠に到着した。30分ほど下ると海岸の自動車道に出る。海岸に沿って歩き、宇佐大橋を渡る。大きな橋で、高さもあるうえ、風も強く、足がすくむ。怖々10分かけて橋を渡った。以前、パラグライダーをやっていたが、体を支えるものがないと恐怖を強く感じる。
16:20宇佐町の宿、三陽荘に到着した。約30kmを歩いたようだ。温泉があり、龍温泉と呼ばれている。塩分のある茶褐色の温泉であった。久々にのんびりとお湯につかった。
三陽荘は、大阪生駒山北部にある、高野山真言宗龍眼寺にあった宿坊「三寶殿」を当地に移されたことが始まりとされている。宿の前には、立派な大師像、地蔵菩薩像、不動明王が立っている。館内には、黄金大師が祭られている。
翌日、7:20三陽荘を出発し、20分ほどで第36番札所青龍寺に到着した。
山門を抜けると不動明王の前に滝がある。暫く見入っていると、間欠泉のように噴出する。自然なのか演出なのかは分らぬが。弘法大師が唐に渡る際に、本尊の波切不動明王現れて、嵐を鎮めたという由縁から今でも海で働く人に信仰を集めているようだ。
この日の予定は、須崎までの25km程なので、700m先の奥の院まで足を伸ばすこととした。奥の院は、岬の突端に近く、奥の院の裏手から見る太平洋の眺めは素晴らしかった。晴れ渡った広大な海、足下の遠くから波の音も聞こえてくる。静寂の中、心が落ち着く一時を過ごした。昨日は、冬至だが、晴れて暖かい。気分は最高!!
のんびり下山し、9:10には青龍寺に戻った。

 
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12:40清瀧寺を下山する。

12:40清瀧寺を下山する。


土佐市内を歩く。市内では、よく迷う。

土佐市内を歩く。市内では、よく迷う。


塚地峠への遍路道の入り口。ハイキングコースとして整備されている。

塚地峠への遍路道の入り口。ハイキングコースとして整備されている。


塚地峠付近から望む宇佐湾。山中で突然現れる太平洋には感動する。

塚地峠付近から望む宇佐湾。山中で突然現れる太平洋には感動する。


安政元年(1854年)の地震と津波の犠牲者を追善する碑に出会う。

安政元年(1854年)の地震と津波の犠牲者を追善する碑に出会う。


海岸に沿って椿の咲く美しい道を歩く。

海岸に沿って椿の咲く美しい道を歩く。


宇佐の宿、三陽荘の前には、大師像、地蔵菩薩、不動明王の三像が立ち並ぶ。

宇佐の宿、三陽荘の前には、大師像、地蔵菩薩、不動明王の三像が立ち並ぶ。


青龍寺の境内

青龍寺の境内


奥の院

奥の院


奥の院から望む太平洋。

奥の院から望む太平洋。

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プロフィール

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一人旅が好きなサラリーマンです。巡礼の旅も好きで、西国三十三所や坂東三十三所にチャレンジしました。歩き遍路は、初めてで、四国八十八所は、歩いて行こうと決めていました。そろそろ、人生の終盤で、いろいろ考えます。車より歩いたほうが、頭の中がすっきりするような気がします。通しで歩くことはできませんが、少しずつまわり、退職後には、通してある痛いと思っています。平成24年4月28日が発願の日になると思います。いろいろ考えながら歩きたいと思っています。

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